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千葉地方裁判所 昭和46年(ワ)516号 判決 1974年6月24日

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは連帯して、原告らに対し、各金四、六一五、六四八円と、これに対する昭和四七年二月二一日から支払いずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

(1) 日時 昭和四五年四月三〇日午前一〇時三〇分頃

(2) 場所 千葉県船橋市西船七丁目五番一五号先路上

(3) 加害者 被告小和田秀雄(以下被告小和田という)

(4) 加害車両 自動二輪車ホンダベンリー(船橋市ま七二五、一二五cc、以下本件オートバイという)

(5) 加害車両の保有者 被告フジスポーツ株式会社(以下被告会社という)

(6) 被害者 訴外吉田盛斗(以下盛斗という)

(7) 事故の態様 被告小和田が盛斗を本件オートバイの後部座席に乗せ、本件事故現場にさしかかつた際、その附近が同方向に進行する車両のため渋滞していたので、センターラインをオーバーして反対車線に入り無理な追い越しをしようとしたのであるが、そのとき反対方向から進行して来た車両をさけようとしてセンターラインの内側に入つたため、先行の小型貨物自動車後部に接触し、その反動で後部座席の盛斗を反対側ガードレールまで投げ飛ばし、頭部打撲裂創、頭蓋骨々折により即死させたものである。

2  帰責事由

(1) 被告小和田は本件オートバイの運転者として、運転未熟・スビード違反・センターラインオーバー・前社不注意の過失により本件事故を惹起したものであるから民法七〇九条により、

(2) 被告会社は本件オートバイを所有し、これを自己のため運行の用に供していたから自動車損害賠償保障法(以下自賠法という)三条により、

それぞれ原告らが本件事故によつて蒙つた後記損害を賠償する責任を負うものである。

3  損害

(1) 葬儀費用 一七五、六四〇円

原告らは葬儀費用として各自八七、八二〇円の損害を蒙つた。

(2) 逸失利益 四、一〇五、六五六円

死亡当時年齢 一九歳

就労可能年数 四四年

ライプニツツ係数 一七・六六二七

月収 三八、七六〇円ただし基本給、残業手当を含め一日一、二九二円、一カ月三〇日就労するとして。

生活費 収入の二分の一

原告らは盛斗の相続人として各自右金員の二分の一を相続した。

(3) 慰藉料 四、〇〇〇、〇〇〇円

原告らは盛斗を末子として可愛がり、将来も有望視して来たものであるが、本件事故により同人を失い、また被告らの本件に対するこれまでの取扱いに対しても大きな精神的苦痛を受けた。原告らの右精神的苦痛は各々二、〇〇〇、〇〇〇円で慰藉されるべきが相当である。

(4) 弁護士費用 九五〇、〇〇〇円

原告らは弁護士である原告ら訴訟代理人らに起訴、遂行を委任し、着手金として各自七五、〇〇〇円を支払い、なお報酬として各自四〇〇、〇〇〇円を支払うことを約した。

4  よつて原告らはそれぞれ被告ら(連帯)に対し、右金額合計四、六一五、六四八円宛の損害賠償金およびこれらに対する不法行為の後である昭和四七年二月二一日より支払いずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  1項中、(1)の日時及び(2)の場所で(4)の本件オートバイの無理な追い越しに起因して(6)の盛斗が死亡する事故が発生した事実、および被告会社が本件オートバイを所有しこれを自己のため運行の用に供していたことは認める。その余の事実は否認する。本件オートバイを運転していたのは盛斗であり、被告小和田は後部座席に乗つていたものである。

2  2および3項は否認する。

3  4項は争う。

第三証拠〔略〕

理由

一  原告ら主張の日時場所において、被告会社の保有する本件オートバイの無理な追越しから交通事故が発生し、右オートバイには、(どちらが運転していたかについては争いがあるが)被告小和田と盛斗が搭乗していて右事故により盛斗が死亡した事実については、当事者間に争いがない。

二  そこで本件オートバイの運転者が被告小和田であるとの原告の主張について判断する。

1イ  原告の主張に沿う証拠として、成立に争いのない甲五号証(近藤昌幹が立ち会つて作成された実況見分調書)、証人近藤昌幹(以下近藤という)の証言、および同証言と証人石井正二の証言とによつて真正に成立したものと認められる甲三号証(右近藤の供述録取書)の中に、次の如き供述部分ないし供述記載部分がある。

「近藤は本件事故発生の日時・場所において本件オートバイと事故寸前すれちがつた。本件オートバイはセンターラインをオーバーし、かなりのスピードで走行して来た。近藤は右速度と道路面に凸凹があることとなどから事故をおこすのでないかと思い振り返つてオートバイの行方をみていた。すると予期の如くオートバイが横転した。横転したはずみに後部座席に乗つていた人が道路端のガードレールのすぐ近くに倒れ、オートバイを運転していた人がそのオートバイの近くに倒れた」。

ロ  そして成立に争いのない乙一号証、証人木村正美(以下木村という)の証言、被告小和田の供述を総合すると、ガードレールのすぐ近くに倒れたのは盛斗であり、オートバイのすぐ近くに倒れたのは被告小和田であることが認められる。従つて前記近藤の供述部分ないし供述記載部分に誤りがないならば運転していたのは被告小和田と認めざるを得ない。

ハ  しかし、近藤の供述部分ないし供述記載部分を検討してみると、前掲各証拠によると近藤が本件事故を目撃した際、近藤自身も軽貨物自動車を運転して走行中であつたこと、その速度は三〇キロメートル前後であり走行方向はオートバイと逆方向であつたこと、事故は近藤車の背後で起きたため近藤は右窓越しに振り返つて直後のやゝ左を見る位置関係にあつたこと、近藤車と本件オートバイの速度および時間と前記乙一号証に於て認められる事故現場の距離関係に合理性が欠けること、近藤が本件事故について最初に供述した時期でさえ事故後六カ月を経過していること、本件事故が極めて短時間のうちに発生していることが認められ、以上認定の事実によると、近藤の観察・記憶・供述の過程従つて前記供述部分ないし供述記載部分には必ずしも全面的に信を措くわけにはいかない。

ニ  これにひきかえ前掲乙一号証中の木村正美の供述記載部分は、事故直後(事故当日の午前一〇時三五分から同一一時四〇分までの間)になされた供述の記載であり記憶は鮮明であるものと考えられ、かつ本件オートバイが接触した普通貨物自動車の運転者の供述であり、自己の車に接触して右前方に滑走して行つた本件オートバイを自然な姿勢で見ることのできる最適の位置にいたものであるから、比較的に信用することができる。右供述記載によると、オートバイを運転していた人がオートバイから放り出されて右前方遠くガードレール近くまではね飛ばされてガードレールの下に頭を突つ込むようにしてひつくり返つたが、後部座席に同乗していた人は近くに転倒停止したオートバイの近くに倒れたことが認められるのである。

このことは、証人吉田健治の証言および被告小和田の供述によつて、被告会社を出発するとき、本件オートバイを運転していたのは盛斗であることが認められること、および被告小和田の供述によると、事故直後に、右普通貨物自動車から助手がおりて来て、被告小和田に対し、オートバイを運転していたのはお前かと尋ねたとき、同車からおりて来た運転手が、いやこの男は違う、この男は後に乗つていたやつだと言つたことが認められることと符合する。証人木村正美の証言によると、同人は昭和四七年九月六日の証言の際には、右の点についての記憶を失つていることが窺われるけれども、事故後二年四箇月経過しているのであるから、記憶を失つたとして不自然ではない。

結局、右各証拠と対比すると、これらを否定して、前記近藤の供述部分ないし供述記載部分を採用することはできない。

2  他に原告の主張に沿うものとしては事故時の被告小和田、盛斗は、本件オートバイの各転倒状況からの推測がある。

イ  前記乙一号証によると、本件オートバイはその損傷部分から木村の運転する普通貨物自動車を追い越す際、その右後輪のタイヤに自車の左ステツプを接触させたものと推定され、オートバイの損傷部分、路面に印象された滑走痕から、ともかくオートバイの左側面と普通貨物自動車の右側面が接触した反動で右側に傾斜し、右ブレーキペタル、右ステツプ等を路面に接しながら滑走したものと推定される。

ロ  このような場合オートバイの後部座席に乗つていた者は、オートバイの左ステツプが普通貨物車(木村車)の右後輪に接触した際にかかつた急制動と、つづいて、殆んど同時にオートバイが右傾したこととによつて、進路右前方に強く投げ出される可能性があり、これに反し運転者は反射的にハンドルを強く握る可能性があるから、もしそうしたならばその後これを離したとしても、滑走するオートバイと同一方向に転倒することが一応推測されるのである。

ハ  従つて右推測に誤りがないならば、前記1のロにおいて認定した事実から運転していたのは被告小和田であり、盛斗は後部座席に乗つていたものと推認せざるを得ない。

ニ  しかし、右推測はあくまでも可能性にすぎず、オートバイと普通貨物車の接触状況(例えば証人木村正美は、オートバイはハンドルがぶつかつたようであると証言している)各車の速度(被告小和田はオートバイは時速約五〇粁、証人木村正美は普通貨物車は歩く位の速度と供述している)接触前後のオートバイの傾斜の度合・制動状況および転倒状況、接触前後の盛斗および被告小和田がオートバイにつかまつていた個所(例えば被告小和田は、荷台の前と後(の金具)をつかんでいたと供述しているのである。)その把握状態・その後の反射的又は意識的行動等の如何によつては右推測と結果を異にする可能性もあり得るのであつて、これらの諸点が殆んど不明である以上、前記の推測に高度の蓋然性が存在するということはできない。

ホ  従つて前記近藤の供述部分等に右推測を加えてみても、なお前掲乙一号証中の木村正美の供述記載、証人吉田健治の証言および被告小和田の供述を否定し去り、被告小和田がオートバイを運転していたと認めさせるには十分ではない。

3イ  証人吉田和久の証言および原告吉田安三郎の供述によると、<1>被告小和田は義父の花島に対し自分が(盛斗を)殺したと述べたこと、<2>同被告は右花島に対し事故のことを話したがらなかつたことが認められる。右吉田和久は証言によると、<3>被告小和田は原告ヒサヨに対しては盛斗が四輪車で千葉店に向かつていたけれどもその日はストで引き返してからの事故であると述べたのに、吉田和久に対してはそうではないと述べたことが認められる。原告吉田安三郎の供述によると、<4>被告小和田は同原告に対しては、出発の時、被告会社の従業員でオートバイの二人を見た者はないと思うと述べた(同被告は法廷では、吉田健治に会つたと述べている)こと、および<5>同被告は盛斗の初七日のとき、妻と共に原告らの家を訪問すべくその近くの駅まで来ていながら訪問せずに一人引き返してしまつたことが認められる。また右吉田和久の証言によると、<6>吉田和久が被告会社の代表取締役の妻と話していたら、被告会社の専務取締役が同女に対し「しやべるな」と言つて、同女の発言を制止したことが認められる。

右<1>ないし<6>の事実は、原告側から見れば、不自然に感じられるところであり、疑惑を抱く所以であつたかも知れない。

ロ  しかし、被告小和田の供述によると、<1>は、自分が運転したのではないが、申し訳なく思つていたので、そのような表現になつたことが認められ、<2>については、右のような気持と、事故の結果について相当のシヨツクを受けていたためであることが窺われ、<3>、<4>は事故前の事情に関するものであつて、これを故意に事実を曲げて話したものとは考えられず、右不一致は単なる記憶違いであつたことが窺われ、<5>は、当時御両親の顔を見るのが可哀想だと思つたからであるとが認められ、被告代表者田嶋幸雄の供述によると、被告会社がその方針として直接原告ら遺族の人に対しては話をするな、専務に任せておけという態度をとつたことはないことが認められる。

いずれにしても、右<1>ないし<6>の事実は、被告小和田が本件オートバイを運転していたことを強く推認させるものではない。

ハ  従つて前記1の近藤の供述部分等、2の推測および3のイの<1>ないし<6>の各事実を合わせ考えても、尚、乙一号証中の木村正美の供述記載等をこえて、被告小和田が本件オートバイを運転していたと認めるに足りない。

4  他に被告小和田が本件オートバイを運転していたという原告らの主張を認めるに足る証拠はない。却つて、以上認定したところによると、盛斗がこれを運転していたものと言わなければならない。

三  そうだとすると、被告小和田が本件オートバイを運転していたことを前提として、原告らが、被告小和田に対しては同被告にオートバイ運転上の過失があつたこと(不法行為)を理由とし、被告会社に対しては盛斗が自賠法三条に所謂他人であることを理由として、損害の賠償を求める本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 木村輝武)

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